日本は、本当にお米づくりに向いた国だったのか??

~日本のお米がおいしい理由は、自然だけではない~

日本といえば、「お米の国」。

多くの人は、「日本は昔から、お米づくりに最適な国だった」と思っているかもしれません。

確かに、日本の夏は高温多湿で雨も多く、稲が育つために必要な水にも恵まれています。

しかし、土地の広さ、地形、土壌、水の利用しやすさまで含めて考えると、日本のすべての地域が、最初から稲作に恵まれていたわけではありません。

世界には、ベトナムのメコンデルタやタイのチャオプラヤ川流域に広がる中央平原のように、大きな川が長い年月をかけて土地をつくり、広大な稲作地帯となった場所があります。

一方、日本は火山が多く、国土の約70%を山地が占めています。平野は限られ、川は短く、流れも急です。雨が多いため、土の養分が流れ出しやすく、土壌も酸性に傾きやすいという特徴があります。

それでも、日本のお米は高い品質を実現してきました。

その理由は、自然条件だけではありません。

先人たちが長い年月をかけて、水を治め、土を育て、品種と栽培技術を磨いてきたからです。


東南アジアには、大河川がつくった広大な稲作地帯がある

日本の稲作環境を考えるうえで、比較してみたいのが東南アジアです。

東南アジアには、ベトナムのメコン川、タイのチャオプラヤ川、ミャンマーのエーヤワディー川など、広い流域を持つ大河川があります。

これらの川の河口付近には、川が長い年月をかけてつくった「デルタ」と呼ばれる広大な平野が広がっています。


デルタ地帯は、川がつくった土地

川の水は、上流にある山や大地を少しずつ削りながら流れます。その過程で、砂、粘土、細かな鉱物、有機物などを下流へ運んでいきます。

川が河口付近まで来ると、土地の傾斜が緩やかになり、流れの速さが落ちます。すると、川が運んできた細かな土砂が沈み、長い年月をかけて積み重なります。

こうしてできるのが、デルタ地帯に広がる沖積土です。

雨季になると、川の水が周辺の低地へあふれ、細かな泥や養分を農地へ運びます。洪水は人の暮らしに大きな被害をもたらしますが、適度な氾濫は農地に新しい土や養分を補う働きもしてきました。

つまり、デルタ地帯では、大河川が長い年月をかけて土地をつくり、ときには洪水によって土を更新してきたのです。

さらに、デルタ地帯は広く平坦で、水を引きやすいという特徴があります。粘土を含む沖積土は水を保ちやすく、水田を広げるのにも適しています。

温暖な気候と長い日照期間を生かし、灌漑設備が整った地域では、年に2回、場所によっては3回稲を作ることもあります。

世界銀行の報告によると、メコンデルタでは、川が運ぶ養分を含んだ土砂、比較的高い自然堤防、排水条件などが農業を支え、一部では年に2回から3回の米づくりが行われてきました。


東南アジアの稲作は、地域によって異なる

ひと口に「東南アジア」といっても、すべての地域が同じ環境ではありません。

ベトナム南部のメコンデルタは、東南アジアを代表する米どころです。メコン川が運んできた土砂と豊富な水を利用し、運河、堤防、排水路などを整備することで、広大な水田がつくられてきました。

ベトナム北部には、紅河がつくった紅河デルタがあります。こちらも古くから稲作が盛んな地域ですが、洪水を防ぐための堤防や水利施設を発達させながら、米づくりを続けてきました。

タイでは、中央部にチャオプラヤ川がつくった広大な平野が広がり、大規模な灌漑施設を利用した稲作が行われています。一方、タイを代表する香り米などは東北部の雨水に頼る水田でも多く作られており、同じ国内でも稲作環境は大きく異なります。

カンボジアでは、メコン川とトンレサップ湖の水位が、雨季と乾季で大きく変化します。水位の上昇に合わせて茎を伸ばす深水稲や、洪水が引いたあとの土の水分を利用する稲作など、その土地の水の動きに適応した米づくりが行われてきました。

インドネシアのジャワ島やバリ島では、大河川のデルタだけでなく、火山性の土と豊富な雨を利用した棚田が発達しています。特にバリ島では、「スバック」と呼ばれる共同の水管理の仕組みによって、川の水を水路で分け合いながら水田を維持してきました。

ラオスやタイ東北部では、もち米が食文化の中心となっています。平地の水田だけでなく、雨水に頼る水田や山間部の陸稲など、地形や降水量に合わせた多様な稲作が続けられています。

このように東南アジアの稲作は、広大なデルタ地帯だけでなく、洪水原、乾燥しやすい平原、山間部、火山島の棚田など、それぞれの自然環境に適応することで発展してきました。


デルタ地帯だから、簡単に米が作れるわけではない

肥沃なデルタ地帯であっても、何もしなくても米が作れるわけではありません。

雨季には水が多すぎて洪水が起こり、乾季には水不足になることがあります。海に近い場所では、海水が川や地下水へ入り込む塩害も発生します。

また、メコンデルタの一部には、非常に酸性の強い「酸性硫酸塩土壌」があり、場所によってはpH4を下回ることもあります。

そのため、「東南アジアの土はすべて肥沃で中性に近い」と考えることはできません。

東南アジアでも、農家や地域の人々が、水路、運河、堤防、排水施設、品種、作付け時期などを工夫しながら、稲作を発展させてきました。

東南アジアの稲作も、自然の恵みだけで成り立っているのではありません。大河川の力を生かしながら、ときには洪水を受け入れ、ときには水を制御してきた、人々の知恵と努力の積み重ねなのです。


pHから見ると、日本の土壌は理想より少し酸性側にある

土壌の酸性・アルカリ性は、pHという数値で表されます。

pH7が中性で、7より低いと酸性、7より高いとアルカリ性です。

水稲の栽培に適した土壌pHは、一般的にpH5.5~6.5程度とされています。その中でも、pH6.0~6.5程度の中性に近い弱酸性は、稲が必要とする養分を比較的利用しやすい状態であり、水稲栽培に適した土壌環境の一つと考えられます。

これに対して、全国調査を基にした研究では、日本の水田土壌の平均pHは、純水を使って測定するpHは約5.8と報告されています。

pH5.8も水稲の生育適正範囲には入っていますが、pH6.0~6.5と比べれば、やや酸性側に位置しています。

日本は雨が多いため、土の中のカルシウム、マグネシウム、カリウムなどが雨水とともに流れ出しやすく、土壌が酸性へ傾きやすい特徴があります。

また、日本に多い火山灰由来の黒ボク土では、稲の生育に必要なリン酸が土に強く固定され、利用されにくくなることがあります。

一方、大河川のデルタに分布する比較的新しい沖積土には、中性または中性に近い性質を示すものがあります。東南アジアの代表的な稲作地帯でも、比較的条件のよい沖積土では、pH6.0~7.0程度の弱酸性から中性に近い土壌が見られます。

pHだけを比べれば、こうした沖積土の方が、日本の平均的な水田土壌よりも中性に近く、養分を利用しやすい条件を備えている場合があります。

つまり、日本の水田土壌は、水稲が育つことのできない土ではありませんが、pHだけに注目すれば、理想的な範囲の中でも少し酸性側にあるといえます。


稲は弱酸性の土壌にも適応できる

それでも日本で稲作が発展した理由の一つは、稲が弱酸性の土壌にも比較的よく適応できる作物だからです。

さらに、水田に水を張ると、土の中の酸素が少なくなり、「還元状態」と呼ばれる状態になります。

これによって、酸性土壌のpHは中性に近づく方向へ変化します。研究では、湛水した土壌のpHは、条件によってpH6.5~6.7程度へ近づくことが示されています。

この水田特有の働きによって、弱酸性の土壌でも稲が育ちやすくなり、土に固定されていたリン酸などの養分も利用されやすくなります。

したがって、日本の土壌は、pHの面でまったく稲作に向いていないわけではありません。

本来であれば、平均pH5.8よりも少し中性に近いpH6.0~6.5程度の方が、養分バランスの面ではより望ましい。しかし、稲には弱酸性の土壌に適応する力があり、さらに水田に水を張ることで、土壌のpHも中性に近づきます。

日本人は、こうした稲と水田の性質を生かしながら、日本の土壌に合った米づくりを発展させてきたのです。


日本は雨が多い。しかし、水を使いやすい国とは限らない

日本は雨が多い国ですが、雨が多いことと、稲作に必要な水を安定して利用できることは同じではありません。

日本は山が多く、川は短くて流れが急です。

大雨が降れば、山から流れ出した水が短時間で平野へ集まり、洪水が起こります。一方、川より少し高い台地や山間部では、水を引くことが難しく、水不足に悩まされることもありました。

つまり日本は、「水が多すぎる場所」と「水が足りない場所」が、すぐ隣り合わせにある国なのです。

新潟平野では、信濃川や阿賀野川の洪水にたびたび悩まされてきました。土地が低く、水はけの悪い湿田も多く、腰まで泥につかりながら農作業をするような場所もありました。

愛知県の安城周辺に広がる碧海台地は、川よりも土地が高く、水を引くことが難しい地域でした。水田をつくりたくても、必要な水を十分に確保できなかったのです。

三重県いなべ市には、山から流れてくる水を農地へ届けるため、「まんぼ」と呼ばれる地下水路がつくられました。片樋地区に残る「片樋のまんぼ」は、全国でも大規模なものとして知られています。

このような自然条件の中で、日本人は、お米を作るために水を利用する方法を考え続けてきました。


日本人は、稲作に適した土地をつくってきた

日本人は、自然をそのまま受け入れるだけではありませんでした。

堤防を築き、川の流れを分け、用水路や排水路を整備し、ため池をつくり、地下水路を掘り、少しずつ土地を稲作に適した状態へ変えてきました。

愛知県三河地方では、1880年に明治用水が通水しました。矢作川の水を碧海台地へ引くことで、それまで水不足に悩まされていた土地が、次々と水田へ生まれ変わりました。

現在の明治用水は、安城市を中心とする西三河地域の農業を支える重要な農業用水となっています。

新潟では、1922年に大河津分水路が通水しました。信濃川の洪水を日本海へ流すことで、越後平野の水害は大きく減少しました。

さらに、排水路や排水機場の整備によって、泥深く水はけの悪かった湿田が乾田へと変わり、農業機械も入りやすくなりました。

こうした治水と排水の積み重ねが、新潟平野を日本有数の米どころへと発展させる大きな力となったのです。

これらの土地は、初めから稲作に最適だったわけではありません。

長い時間をかけて、多くの人々が知恵を出し合い、水を治め、米を作る土地を育ててきたのです。


土も、人が育ててきた

日本の土は、雨によって養分が流れやすく、火山灰由来の土ではリン酸が稲に利用されにくくなることがあります。

酸性が強くなり、土壌pHが5.0を下回るようになると、カルシウム、マグネシウム、カリウムなどが不足しやすくなる一方、アルミニウムやマンガンなどが溶け出し、根の生育や養分吸収へ悪影響を及ぼすことがあります。

だからこそ農家は、土の状態を見ながら、

  • 稲わらを田んぼへ戻す
  • 堆肥などの有機物を入れる
  • 不足する養分を補う
  • 土壌診断に基づいて肥料を調整する
  • 必要に応じて石灰、苦土、ケイ酸などの土づくり資材を使う

といった工夫を続けてきました。

ただし、資材は多く入れればよいわけではありません。土壌診断を行い、それぞれの田んぼに足りないものを、必要な量だけ補うことが大切です。

つまり、日本の稲作は、「最初から良い土があったから成功した」のではありません。

稲の適応力を生かしながら、人が土の状態を見極め、不足するものを補い、土を育てる文化によって支えられてきたのです。


おいしいお米は、挑戦の歴史が育てた

日本で水田稲作が本格的に始まったのは、今からおよそ3,000年前といわれています。

もともと稲は、暖かい地域で育つ作物です。そのため、日本へ伝わってきた当初は、寒い地域で安定して栽培することは簡単ではありませんでした。

しかし、日本人は、

「もっとおいしいお米を作りたい」

「寒い地域でも育つようにしたい」

「病気や冷害に強い稲を作りたい」

「倒れにくく、安定して収穫できる稲にしたい」

という思いを持ち続け、品種改良と栽培技術の向上を繰り返してきました。

その結果、現在では北海道から沖縄まで、それぞれの気候や土地に合った品種が育成され、日本各地で高品質なお米が収穫できるようになりました。

さらに、

  • 食味の向上
  • 病気への強さ
  • 冷害への強さ
  • 高温への強さ
  • 倒れにくさ
  • 安定した収量

など、時代ごとの課題を乗り越えるための品種改良は、今も続いています。

日本のお米のおいしさは、自然がそのまま与えてくれたものではありません。

先人たちが受け継いできた知恵と挑戦の積み重ねによって、磨かれてきたものなのです。


そして、未来の米づくりへ

近年は地球温暖化の影響によって、全国的に夏の暑さが厳しくなっています。

稲が実る時期に高温が続くと、米粒が白く濁るなど、品質が低下することがあります。良質米として出荷できる割合が下がり、農家の収入に影響することもあります。

こうした課題に対応するため、日本では現在も、高温に強い品種の開発や、水管理、施肥、田植え時期などを見直す新しい栽培技術の研究が進められています。

日本の稲作は、すでに完成した技術ではありません。

時代や気候の変化に合わせて進化し続けることで、次の世代へおいしいお米をつないでいこうとしているのです。


一杯のご飯には、三千年近い知恵が詰まっている

私たちは、毎日のようにご飯を食べています。

その一杯のご飯の背景には、三千年近くにわたる人々の営みがあります。

洪水を治め、水不足を克服し、土を育て、品種を改良し、栽培技術を磨き続けてきた人々。

そして今も、地球温暖化という新たな課題に向き合いながら、日本の米づくりは進化を続けています。

日本のお米は、自然の恵みだけで生まれたものではありません。

日本の水田土壌は、平均pH5.8という弱酸性の土壌です。水稲の生育が可能な範囲には入っていますが、pH6.0~6.5程度の、もう少し中性に近い弱酸性と比べれば、やや酸性側にあります。

それでも、稲が持つ適応力を生かし、水を張り、土を育て、不足する養分を補い、その土地に合った品種と技術を選ぶことで、日本人は高品質なお米を作り上げてきました。

良い土があったから、おいしい米ができたのではありません。

おいしい米を作るために、長い時間をかけて土を育て、水を整え、品種と技術を磨いてきたのです。

日本のお米のおいしさは、自然を理解し、その力を生かしながら、知恵と技術を未来へ受け継いできた人々が育てた、大切な食文化なのです。


主な参考資料

いなべ市の「まんぼ」・いなべ市

日本の水田土壌の平均pHに関する研究

水稲の好適土壌pH・岡山県土壌管理資料

湛水土壌のpH変化・国際稲研究所

沖積土の性質・FAO世界土壌資料

メコンデルタの農業と土砂・世界銀行

明治用水の歴史・農林水産省東海農政局

信濃川下流と大河津分水・国土交通省

・ごはんマイスター講座公式テキストブック